市長のやまがた自慢「長谷堂城跡」
慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の合戦に際し、東北では直江兼続を大将とする上杉軍が山形に侵攻しました。米沢方面、庄内方面から攻め込まれ、南側の最終防衛ラインとなったのが長谷堂城です。最上軍は志村伊豆守光安を中心に奮戦、猛攻を食い止め、関ヶ原での西軍の敗退をきっかけに、上杉軍も撤退しました。
最上義光公はこの勝利により、出羽国のうち現在の置賜地方を除く山形県の大部分と、秋田県由利郡という広大な領土を得、57万石の大大名となりました。これは、徳川、豊臣を除くと前田利長、結城秀康、伊達政宗、蒲生秀行、に次ぐ全国5位の石高になります。
現在、長谷堂城の跡地はそのまま公園になっています。独立した丘陵全体が城を構成しており、土塁や曲輪など、昔のままの遺構も数多く残っています。斜面の部分にはシャガという植物がたくさん生えていますが、これは葉の表面が滑りやすく、敵軍が攻め上るときに上りにくくするよう植えられたと伝えられます。山形城を「統治のための城」とすれば、長谷堂城は「戦うための城」といったところでしょうか。
山頂広場からは山形市街や長谷堂合戦の戦場が一望でき、直江兼続が陣取った菅沢付近もよく見えます。麓からゆっくり歩いて1時間程度で運動にもなりますし、山形の歴史を学ぶには格好の場だと思います。先日私自身も登ってみましたが、戦国時代にタイムスリップしたような気分になります。
また、ヒガンバナやシダレザクラ、フジなど、四季折々の植物を楽しむこともできます。ぜひ実際に登っていただき難攻不落の名城を体験してみてください。
(広報やまがた平成28年5月1日号掲載)
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