山形市指定文化財を新たに指定しました(令和6年度)

ページ番号1013617  更新日 令和6年4月25日

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以下の文化財が新たに指定されました。

  1. 木造釈迦如来坐像【もくぞうしゃかにょらいざぞう】
  2. 木造聖観音菩薩立像【もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう】
  3. 勝因寺山門二階格天井(書画)【しょういんじさんもんにかいごうてんじょう(しょが)】

指定年月日

令和6年(2024年)4月8日

指定された文化財について

1.木造釈迦如来坐像

種別

彫刻

数量

1躯

所在地

山形市山家本町

所有者

宗教法人金勝寺

概要

 頭部が大きく体部が小さくなる体形は南北朝から室町時代に見られるもので、またひたいが開いてやや下膨れ気味の輪郭、うつむき加減の面相、波打つような衣のひだの線の表現、とくに両肩で大きく「C字」形に折り返す表現は院派(平安時代後期から室町時代の仏師の一派)仏師の作品にみられるものです。さらに体内部に前後束(体幹材の前後をつなぐ桟)を残すことも院派の作品に知られています。本像の製作は室町時代初期のものと思われます。

 本像は像の構造は明瞭で内刳り(像の内部をくりぬいた空洞)も深く、内部に像心束(像の下部に上半身を支えるため彫り残した部分)、前後束を残します。面貌表現、衣のひだの線の表現、さらに盛り上げ彩色など全体として中央の院派仏師の作と思われます。室町時代の院派仏師は足利尊氏による天龍寺の本尊をはじめとして室町幕府の要人、守護の造仏を行っていました。金勝寺は最上家第二代直家の菩提寺として建立された寺です。本像は室町政権における最上家の位置付けを示す歴史資料ともなります。これらのことから、木造釈迦如来坐像を山形市指定文化財に指定したものです。

もくぞうしゃかにょらいざぞう

2.木造聖観音菩薩立像

種別

彫刻

数量

1躯

所在地

山形市鉄砲町

所有者

宗教法人勝因寺

概要

 頭部が小さく足の長いプロポーションは平安時代後期に見られるものですが体部は肩幅が広く厚みがあります。面相は丸みを基調に穏やかな表情を見せますが、目鼻はやや大きくなり意志的な感覚が見られます。髪際は毛筋彫り(髪の毛を筋目で表すこと)で、また衣のひだの線は彫りが浅いもののその数は多くなっています。こういったことから本像は平安時代後期の様式を基調としながら鎌倉時代の表現様式を加えたでもので、制作は鎌倉時代初期・十二世紀末~十三世紀初めのものと思われます。

 本像は本市においては数少ない鎌倉時代の遺品です。またその作風も中央風の優れたものといえます。さらに本像の形姿は比叡山延暦寺横川中堂の本尊と同じであり、現状の脇侍像(毘沙門天像、不動明王像)とともにもとは横川中堂三尊の形式であったと考えられ、鎌倉時代初期に当地に延暦寺の横川教団の勢力が浸透していたことを示すものです。これらのことから、木造聖観音菩薩立像を山形市指定文化財に指定しました。

もくぞうしょうかんのんりゅうぞう

3.勝因寺山門二階格天井(書画)

種別

絵画

数量

160面

所在地

山形市鉄砲町

所有者

宗教法人勝因寺

概要

 明和7年(1770)に完成した勝因寺山門の二階の格天井にある80面の絵画(板地着色)です。格天井全体は、縦(南北方向)10面、横(東西方面)16面、計160面からなります。絵画と絵画の間に板に墨で篆書体の漢字一字を書いた80面が配置されています。近代の修理の痕跡は見られますが、墨書と絵画は当初から交互に配置されていたと思われます。

 天明2年(1782)竣工の鳥海月山両所宮随身門の天井画を手掛けた藤沢祐川の絵画10点が含まれており、山形では数少ない18世紀の絵画であり、近世絵画史上重要と認められます。劣化が著しい鳥海月山両所宮随身門天井画と比較して、保存状態が健全であり、大変貴重です。これらのことから、勝因寺山門二階格天井(書画)を山形市指定文化財に指定しました。

しょういんじさんもんにかいごうてんじょう

 

 

山形市内の文化財について

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