山形城三ノ丸土塁跡
- 概要
山形城は、本丸・二ノ丸・三ノ丸からなる三重の堀と土塁を持つ城郭です。
本丸・二ノ丸は「霞城公園」として整備が進められています。
三ノ丸は、明治時代以降、ほとんどの堀と土塁が壊され市街地化してしまいましたが、唯一当時の姿を保っているのがこの「山形城三ノ丸土塁跡」です。国指定史跡「山形城跡」の一部として、文化財の指定を受けています。
- 駐車場
- 山形城三ノ丸土塁跡には駐車場はございません。近隣の駐車場をご利用ください。
- 交通アクセス
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- 鉄道
JR山形駅(山形新幹線・奥羽本線・仙山線・左沢線利用可能)
山形駅東口から徒歩10分程度 - バス
「山形城三ノ丸跡」「山交ビル(センタービル前)」下車
各停留所より徒歩3分程度 - 自動車
山形自動車道・山形蔵王ICより約15分
- 鉄道
地図
山形城について
山形城は、中心から本丸・二ノ丸・三ノ丸と同心円状に広がる城郭です。このような城郭の形式を「輪郭式(りんかくしき)」と呼びます。
山形城の三ノ丸は、東西1580メートル・南北2090メートルもの広さを持っていました。これは全国屈指の規模であり、現在の中心市街地の大部分が三ノ丸の範囲に含まれます。また、出入口となる門が11ヶ所ありました。
山形城の範囲
発掘調査で見つかった三ノ丸の堀・土塁の跡
どちらの写真も、赤い破線の右が堀跡、左が土塁跡です。
構造
本来の構造
江戸時代、三ノ丸土塁跡の北側には「十日町口」と呼ばれる三ノ丸の出入口の一つがありました。そして、南側は駅前通りを越え、さらに堀と土塁が続いていました。
現在、住宅を挟んで北側を通る道路は、十日町口に通じる街路が原型です。
左側の木立が三ノ丸土塁跡です。市街地で三ノ丸土塁跡の位置を示すランドマークです。
現存部分の構造
土塁の平面形状はL字型で、その東側に堀跡が残っています。
土塁は南北約60メートル、東西約30メートルほどの長さで残っています。高さは最高8メートル、底面の幅は約20メートルです。また、土塁の上には平場があり、最大で2.5メートルほどの幅があります。
現在、堀は大部分が埋められ空堀となっていますが、絵図等から江戸時代は水堀であったと考えられます。
土塁上にはこのような平場が続いています。また、奥で東側へL字型に折れ曲がっています。
土塁の折れ曲がり部
土塁の北端です。本来は、この先でさらに北側へ折れ曲がり、十日町口に続いていたと考えられます。
土塁の外側には、このような堀が続いていました。平坦部が現在の地表面です。
歴史
江戸時代
現在の城郭は、第11代城主・最上義光(1546~1614)が築いたものが原型とされており、三ノ丸も義光の時代に大規模に拡張されたと考えられています。
本丸・二ノ丸は、後の山形城主・鳥居氏(1622~1636)の頃に大規模な改修が行われましたが、三ノ丸については幕末まで大きな変化はなかったとされています。
明治時代以降
明治34(1901)年、山形駅の開業に合わせ、現在の駅前通りが新たに整備されました。その際、道路部分の土塁が切り崩され、その土砂で堀は埋め立てられました。その後、残っていた三ノ丸の堀と土塁は次第に壊され市街地化していきましたが、「十日町口」付近の堀・土塁はそのまま残り、三ノ丸の姿を現在に伝えています。
価値
山形城三ノ丸土塁跡は、山形城三ノ丸の堀と土塁がそろって残っており、当時の姿をとどめる唯一の場所です。その価値が評価され、昭和62(1987)年7月9日に国指定史跡「山形城跡」の一部として文化財の追加指定を受けました。
その他
- 三ノ丸土塁跡の周囲は、西側の広場以外、私有地となります。見学の際はご注意ください。
- 土塁を登ったり堀の内部に立ち入ることはできません。予めご了承ください。
霞城公園について
山形城本丸・二ノ丸は、現在、「霞城公園」として活用されています。
詳しくは下記をご覧ください。
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文化スポーツ部文化創造都市課文化財係
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