語り継ごう 平和の尊さを
8月15日、79回目の終戦記念日を迎えます。戦争で多くの尊い命が犠牲になったことを決して忘れてはなりません。悲劇を二度と繰り返さないために、戦争の悲惨さを後世に語り継いでいくことは、現在を生きる私たちの使命です。
山形市は、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向けて活動する日本非核宣言自治体協議会に加盟しています。今号では、同協議会が次世代の平和の担い手育成を目的に実施している「親子記者事業」に昨年度、東北ブロック代表として参加した土橋怜生さん・明晃さんが、被爆地長崎を取材して感じた平和への思いをご紹介します。
被爆前の家族写真
約80~90年前の家族写真。女の子が着ているワンピースは、現在のものとほとんど変わらない。
被爆前の家族写真11時2分を指したまま止まってしまった柱時計
爆心地から約800メートルの民家にあったもの。原爆の爆風によって壊れてしまった。
B29爆撃機から見たきのこ雲
長崎に投下された原子爆弾は地上約500メートルでさく裂。
火球はきのこ状の雲となって膨らみながら上昇し、巨大化していった。
爆発から0.3~3秒の間に地上の表面温度は3,000~4,000度に(鉄が溶ける温度は、約1,500度)。
爆心地から約800メートルの地点から見た焼け跡
爆心地から半径500メートル圏内は、ほとんどの人や家畜が即死。
半径1キロメートル圏内の木造建ての民家は、原形が全く分からなくなっていた。

想像してみてください。
一瞬にしてたくさんの命が、街並みが、これまで積み重ねてきた街の文化が奪われてしまうことを。
もし、その中で自分だけが生かされたら。
取材した長崎原爆資料館では、一発で街を一変させてしまう原爆の恐ろしさを感じました。原爆が投下されるまでは、確かにそこに今の私たちと同じような日常がありました。原爆は、一瞬でたくさんの命を奪っただけでなく、生き残った人々のその後の夢や希望までも奪ってしまいました。生き残った人々は、全てを奪われた悲しみや絶望だけでなく、放射能による被害や差別・偏見により過酷な人生を歩むことになってしまったことも、忘れてはいけないと思いました。

広報やまがた7月1日号クローズアップに土橋さんのインタビューを掲載しています。併せてご覧ください。
平和公園 平和の泉

太陽が出ると虹が架かり、キラキラ輝く様子は現在の平和を象徴しているように見えます。
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のどが渇いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―ある日のある少女の手記から
原爆により体の中まで焼けただれた被爆者たちは「水を、水を」とうめき叫びながら亡くなっていきました。
その痛ましい霊に水を捧げ、冥福を祈り、世界の恒久平和を祈念して「平和の泉」がつくられました。
旧城山国民学校(現在の城山小学校)
旧城山国民学校(現在の城山小学校)
城山国民学校は、最も爆心地に近い国民学校でした。
鉄筋コンクリート3階建ての校舎は、原爆により大きく破壊され、火災により2・3階は全焼しました。
国民学校には教職員33人がいましたが、うち29人が亡くなりました。校庭で作業をしていた人の中には、顔のかたちも判別できない姿で爆死した方も多かったといいます。この学校に通っていた約1,500人の児童・生徒のうち、1,400人余りが自宅や校区内で亡くなったと推定されています。

城山小学校の敷地内には、被爆して燃えてしまったにもかかわらず、
新芽を出し大きく伸びた力強いクスノキ(通称:双子グス)があります。
一面焼け野原になり、壊滅的な被害を受けたことで、「長い間、草木も育たない」と考えられていた状況の中で、
芽吹いた草木は当時の人々を強く勇気づけました。
この双子グスの姿は、困難な中で復興を遂げた長崎の人々の姿と重なり、生命のエネルギーを感じさせてくれました。

爆心地から約800メートルにあり、爆風で鳥居の片方が壊れ、向きがずれたにもかかわらず今もなお立ち続けている。

被爆樹木。今では平和や再生のシンボルとなっている。
山形市の平和のシンボル 千年和鐘
21世紀の幕開けの際に、過去千年間の先人たちと貴重な変わり目の時代を生きている私たちの平和への思いを、これからの千年間に伝えていきたい、と作られました。900年以上の歴史を持つ山形鋳物で作られ、その火種は、1200年間山形を照らし続けた山寺根本中堂のともしびと蔵王の熊野岳で太陽の光を集めて採火した太陽の火を合わせて作られました。
市では、核兵器廃絶と平和を祈念し、毎年千年和鐘打鐘式を行っています。ぜひ、ご参加ください。
■時 8月6日 午前11時55分~
8月9日 午前10時55分~
8月15日 午前11時50分~
■所 市役所東側千年和鐘前
広島で被爆したピアノが山形に
広島に投下された原爆の熱線や爆風に耐えた「被爆ピアノ」の音色を聴いてみませんか?被爆2世で広島市在住の矢川光則さんは、「被爆ピアノ」を譲り受け、修復しました。そして、平和の大切さを訴えるため、全国各地で平和コンサートを開催しています。
被爆ピアノランチタイムコンサート
■時 10月4日(金曜)正午~
■所 市役所1階市民ホール
被爆ピアノトワイライトジャズコンサート“平和のセッション”
■時 10月12日(土曜)午後5時~
■所 霞城セントラル24階展望ロビー
被爆ピアノの演奏者・演奏団体を募集します
被爆ピアノ平和コンサートinYAMAGATA2024“平和の祈り”
■時 10月5日(土曜)午後2時~
■所 中央公民館ホール
■対 ソロまたは連弾によるピアノ演奏、独唱・重唱・合唱、器楽合奏団体20組程度(抽選)
■※申 8月15日(必着)までに、二次元コードからメールで、または市役所や各公民館・コミュニティセンターに設置の応募用紙に記入の上、ファクス(ファクス641-2535)で被爆ピアノ平和コンサート実行委員会へ
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