伝統工芸品一覧
張子
幕末の頃、京都の士渋江長四郎が下条町に土着し、京都嵯峨人形の手法によって作ったのが起こりとされる山形張子。
木型に和紙を水張りし、さらに上質和紙を貼り重ね、天日で乾燥させます。切り込みを入れて木型から外したら、貝殻をすりつぶした顔料を塗り重ね、絵付けをして完成。ダルマや干支にまつわる動物など、数百個の木型が先代から受け継がれています。
赤いちゃんちゃんこを着た「玉乗兎」は平成11年に年賀切手のモチーフになりました。
仏壇
元禄年間(1688〜1704年)、寺院建立のため京から招いた仏師と宮大工が仏壇作りの技法を伝えたのが始まりとされています。享保年間(1716〜36年)に江戸で木彫り技術を学んだ職人を柱に、漆塗師、蒔絵師、金具飾り職人などを統合して産地を形成していきました。
木地、宮殿、彫刻、金具、塗装、蒔絵、箔押し・仕組の7部門の分業作業によって総合的に仕上げられるのが山形仏壇です。品質が堅牢で、精密な技法が仏壇に一層の優美さを表現しています。
打刃物
延文元(1356)年、斯波兼頼が山形に入部したとき、召し抱えの鍛冶師たちが鍛冶師集落を形成したのが始まりとされています。山形城主であった最上義光が「鍛治町」を置き、職人を厚く保護しました。
刀匠鍛冶の伝統を受け継ぎ、鉄を何度も叩き上げて行う鍛造は、よく切れ、曲がらない刃物を生み出します。一点一点を打ち鍛えて仕上げられる打刃物は、丈夫で長く使うことができ、現在は家庭で使う包丁やテーブルナイフ、農具などを生産しています。
焼物
江戸時代の文化年間(1804〜18年)、相馬藩士を招いて開窯したといわれますが、平安時代に慈覚大師が千歳山の土を使って教えたとも伝えられています。
鈴川地区の山家には、彌惣治窯があります。もともと平清水焼の窯元の一つで、大正元年に登り窯を築き創業したのが始まりです。平清水焼の白化粧技法を復活させ、新たに紅花の灰を釉薬として使用するなど、伝統技法と新たな手法を取り入れた「山形のやきもの」を作っています。
鋳物
山形鋳物は、およそ1000年前に始まったと伝えられています。源頼義が前九年の役で一緒に連れてきた鋳物職人が、馬見ケ崎川の砂と付近の土が鋳物に最適であることを発見し、この地にとどまったのが起源といわれています。江戸時代になると山形城主の最上義光が「銅町」「鍛治町」に職人を集め、今日までの土壌を作りました。
デザイン性も高く、特徴的な「薄く繊細な肌合い」は、生活に溶け込みながらも、鋳物としての確かな存在感を放っています。
和傘
山形和傘は、寛政元(1789)年に初めて作られたといわれています。竹の骨組みに和紙を張り、油と漆を塗って手作業で丁寧に仕上げます。山形の雪風に耐えるため、普通の和傘よりも骨組みを増やし、頑丈でありながら軽さも追求しています。
山形花笠まつりパレードで使われる踊り傘やインテリア用のミニチュア傘も古内和傘店で制作。
傘を広げた時の華やかさは、日本の情緒を感じさせ、和傘に当たる優しい雨音は、雨の日の外出を楽しくしてくれます。
鋸
山形鋸は打刃物と同じ、斯波兼頼が山形に入部した南北朝時代、鍛冶師たちが一緒にきたことで始まりました。江戸時代になると、山形城下の鍛治町で打刃物とともに発展。切れ味の良さや使いやすさから、仕事道具として扱う職人たちの間で評判になりました。
山形鋸の特徴は、一枚一枚、全て手作業で作ること。鋸にねばり・しなりがあって切れ味と丈夫さが抜群です。
メンテナンスも職人がきめ細やかに対応してくれるため、長く愛用することができます。
石工
山形市には、日本最古の石鳥居や山形城跡の石垣などが現存していて、古くから石を利用する文化があります。馬見ケ崎に良質の安山岩や凝灰岩層があり、この石材を石垣、石灯篭、石碑、仏像などに加工する高度な技術が発展してきました。山形の石工は、蔵王石と呼ばれる割れにくい頑丈な岩を建造物や生活用品に加工する職人から始まりました。
住宅に使われる化粧板の加工なども石工の仕事で、大きな自然石を割り、削って作られた、石ならではの風合いやどっしりとした感触が魅力です。
ここにもあります
まだまだある山形のいいもの
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