市長のやまがた自慢「丸橋忠弥居住跡」

ページ番号1016204  更新日 令和7年4月29日

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「丸橋忠弥居住跡」

 「由井正雪の乱」(「慶安の変」ともいう)をご存じでしょうか。江戸時代、1651(慶安4)年に起こった事件で、軍学者由井正雪が首謀者となって多数の浪人を従えて幕府転覆を謀ったというものです。

 その由井正雪の右腕で、宝蔵院流槍術の達人、丸橋忠弥が山形の出身という説があります。山形から江戸に上り、槍術の道場を開いていたところ由井正雪と知り合い、意気投合して正雪の企てに乗ることとなりました。忠弥は江戸城攻撃の実行役の中心人物でしたが、事前に計画が露見して失敗に終わり、処刑されてしまったというものです。

 この物語は後に歌舞伎の人気演目「慶安太平記」となりました。そこではむしろ丸橋忠弥が主役のような扱いになっており、人々に親しまれてきました。

 一説によると、忠弥はもともと四国の戦国大名長宗我部元親の四男、長宗我部盛親の庶子とされます。盛親が大坂の陣で豊臣方に属して破れ、処刑されたことから、母に抱かれて山形に逃れてきたというものです。

 今では、忠弥の住居自体は残っておらず、山形市相生町の秀蔵寺のお堂脇に、「丸橋忠弥居住跡」の説明看板があるのみです。お散歩の途中にふらりと立ち寄って、歴史ロマンに浸ってみてはいかがでしょうか。

(広報やまがた令和7年5月1日号掲載)

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