被爆ピアノランチタイムコンサート
イベントカテゴリ: 催し・イベント
- 開催日
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令和5年10月20日(金曜日)
- 開催時間
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正午 から 午後0時55分 まで
- 開催場所
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市役所1階市民ホール
- 対象
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どなたでも
- 内容
被爆2世である調律師、矢川光則さんが「被爆したピアノの音色を多くの人々に聞いてもらうことで平和を考えるきっかけづくりができないだろうか」という思いから全国各地で開催しているコンサートの一つ、原爆の惨禍を見てきた貴重な「被爆ピアノ」が平和の音色を奏でるコンサート(ピアニスト:近藤阿由良さん)
- 申込み
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不要
- 費用
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不要
被爆ピアノコンサートを全国に広げるきっかけとなった「ミサコのピアノ」
ミサコさんは昭和2年、広島市に生まれました。4歳のころ、当時は家が建つと言われるほど高価だったピアノを父に買ってもらいます。ピアノが大好きだったミサコさんは、将来は音楽学校に進み、ピアニストになる夢を抱いて熱心に練習していました。しかし戦争が始まって以降、ピアノを弾くことも叶わない状況となっていきます。
ミサコさんが17歳の年、8月6日に広島に原爆が投下されました。
自宅は爆心地から1.8kmのところにありましたが、そのときミサコさんは爆心地から2.6kmのところにある兵器廠(しょう)に動員されており、負傷はしましたが難を逃れることができました。地獄のような光景の中、なんとか家に帰ってみると、自宅は爆風で壁や戸が吹き飛んでいましたが、ピアノは無数のガラスが突き刺さり、傷つきながらもその姿をとどめていました。
終戦から2日、自宅を訪ねてきた親せきの子供にせがまれ、ミサコさんは久しぶりにピアノの前に座り、トセリの「嘆きのセレナーデ」を演奏しました。乾ききった心に響いたピアノの音色に、「砂漠に水がしみこんでいくようだわ」と感じたミサコさん。しかし、家の外から、こんな時にピアノを弾くとは何事か、と罵声が響き、抱えてようやく持てるほどの大きな石が家の中に投げ込まれました。ミサコさんはあまりにもショックな出来事に、もうピアノを弾いてはいけないのだと、それ以降ピアノには一切触れなくなってしまいました。
その後、ずっとミサコさんの傍らにあったピアノでしたが、一度も触れることはありませんでした。終戦60周年を迎えた2005年、ミサコさんは大切なピアノを手放すことを決意します。役目を終えたピアノを引き取り、再生して病院や施設に贈っていた矢川さんのことを知り、大切なピアノを矢川さんに託すことにしました。
矢川さんは、当時も被爆したピアノを使った演奏会を何度か行っていましたが、それまでにピアノを譲り受けた所有者はどなたも亡くなっており、ピアノや所有者の想いなどに直接触れる機会はありませんでした。ミサコさんから、初めて被爆時の体験を詳しく聞くことができ、矢川さんの中であらためて「この被爆ピアノを使って、全国の人に平和の大切さを訴えたい」という思いが芽生えます。
当時の秋葉広島市長からも「全国で被爆ピアノコンサートを」と背中を押された矢川さんは、ミサコさんのピアノとともに全国を飛び回ることになりました。
今回のコンサートでも、ミサコさんのピアノが力強く美しい音色を響かせます。
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