市の概要

ページ番号1008447  更新日 令和5年5月1日

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市章

山形市 市章のイラスト

山形市章 中の3線は、自由、平等、友愛、外円は団結、下の鋭角は固い意志を意味し、これらを山の字で表現しています。

市政のあゆみ

山形は、古くは最上(もがみ)と呼ばれていた。「最上」は、平安時代の末期頃、すでに出羽路の主要な宿駅の一つであった。このことは延喜式の記録などからも察せられる。仏教文化も、かなり早い時代にこの地方にもたらされており、山寺立石寺(りっしゃくじ)が天台宗の僧円仁(慈覚大師)によって開山されたと伝えられるのは、貞観2年(860)のことであり、出羽の吉祥院や竜山の西麓に多くの坊を擁して栄えたという竜山寺の草創も、その時代のことのようである。しかし山形が、この地方の政治文化の中心に発展したのは、室町時代中期以降のことである。延文元年(1356)羽州探題として奥州大崎より入部した斯波兼頼(しばかねより)がこの地に城を築き、神社仏閣を修復整備し、城下町を整えて発展の礎石をおいたのであった。

山形が、いっそう飛躍して出羽地方一帯に君臨するにいたったのは、兼頼からさらに200年余りたった最上義光(もがみよしあき)(斯波氏はのち最上を姓とする)の時代(1546-1614)である。義光は、兼頼の11代目の子孫で、年少より文武にすぐれていたといわれ、折からの戦国時代の風雲に乗じて近隣の諸将を従え、実収百万石にも達したといわれている。しかし最上氏は、義光没後わずか2代で、内紛のため改易された。そしてその後の山形藩は次第に衰微し、明治維新まで小藩政治に終始しており、最後の藩主水野忠弘の時代には、5万石の小藩にすぎなかった。

江戸中期以降の山形の繁栄を支えたのは、商業の発達であった。なかでも、当時、染料や口ベにの原料として用いられていた紅花(べにばな)は全国随一の生産を誇り、関東・関西の各地に移出されていた。また、青苧(あおそ)の生産や鋳物の製造なども盛んで、これらの物産の交流は、最上川船運の発達をもたらし、上方文化の導入にもつながった。

一方、東の蔵王、西の出羽三山の参拝者たちも山形を拠点としており、山形は、すでにその頃からにぎわいをみせていた。

明治維新によって藩が廃され県に改まると、山形には統一山形県の県庁が置かれた。初代県令三島通庸は、ここに近代都市の建設をはかり、その形態を着々と整備した。明治22年4月1日に大阪市や横浜市など名立たる大都市ともに日本で最初に市制が施行された31市のうちの1市として市制を施行、県内中心都市としての基礎を固めた。同年7月1日には市庁舎を開庁し、この日をもって本市の市制記念日とした。市制施行時の人口は、28,400人であったが、大正9年の第1回国勢調査での人口は116,757人、約30年で4倍に増加している。

昭和6年には隣村の一部を編入、18年には近接2カ村を、29年には12カ村を、続く31年には6カ村を合併して広域行政の端をひらき行政区域は現在の規模となり、43年には人口が20万人を超えた。

平成元年には市制施行100周年を迎え、新世紀の幕開けとなった平成13年には特例市となった。さらに、令和元年度には中核市へ移行し、保健所を開設するなど、着実に都市のステップアップを果たしている。
現在、人口約25万の堂々たる県都となった山形市は、『みんなで創る山形らしさが輝くまち 健康医療先進都市』を目指す将来都市像として掲げ、更なる発展を目指している。

山形市の概要

山形市役所の位置

東経140度21分 北緯38度15分

山形市の位置

山形盆地の東南部(山形盆地 南北40キロメートル,東西10キロメートル,舟底型内陸盆地)

山形市の人口(令和5年4月1日現在)

合計
242,924人
116,672人
126,252人
世帯数
103,616戸

面積

381.58平方キロメートル

気象

昭和8年7月25日 40.8℃を記録(平成19年8月15日まで日本最高気温)
(山形地方気象台(令和2年) 平均気温 13.0度、日照時間1547.1時間、年降水量1284.5ミリメートル、積雪最深 7センチメートル)

市の木,市の花(昭和49年7月1日制定)

市制施行85周年を記念し,選考審議会で選んだ市の木,市の花の候補各4種類の中から,一般公募を行い,最も支持の多かったものを市の木,市の花として制定しました。

市の木 ナナカマド

写真:ナナカマド

500メートルぐらいから上の高山に自生する落葉樹で、あまり大木にはなりません。葉は羽状複葉といって、1枚が7~15枚の小葉にわかれ、花は径5センチメートルばかりの白色5弁であり、集まって咲きます。秋には小豆ほどの赤い実がなります。

市の花 ベニバナ

写真:ベニバナ

キク科の越年草でエジプト原産。高さは約1メートルで葉は硬く、縁にとげがあります。夏、枝上にアザミに似た頭状花が咲き、鮮黄色から赤色に変わります。古く染料植物として渡来したものであり、江戸時代には山形は日本一の紅花の産地でした。

市域の変遷

編入時

編入町村

編入後面積(平方キロメートル)

明治22年4月1日 市制施行 20.32
昭和6年4月1日 東沢村字小白川 21.53
昭和18年4月1日 鈴川村・千歳村 36.49
昭和29年3月31日~11月1日 飯塚村ほか11ヵ村 237.21
昭和30年4月1日 大曽根村字志鎌 237.29
昭和31年4月1日~12月23日 大曽根村ほか5ヵ村 384.63
昭和32年3月21日 蔵王金瓶(上山市へ編入) 381.62
昭和32年10月20日 南山形管内小松原(上山市へ編入) 381.59
昭和33年以降 境界変更等 381.58

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