もみじ公園について

ページ番号1008560  更新日 令和4年10月26日

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もみじ公園概要

写真は紅葉時期

もみじ公園紅葉時期

もみじ公園(旧宝幢寺庭)の由来

 この庭園は、真言宗の巨刹宝幢寺(御朱印1370石)の池泉回遊式古庭園です。

これまで、元禄初期(1688~)の山形城主松平大和守直矩公(10万石)が、姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言伝えられてきました。

しかし、最近それを改める資料が発見され、それによると、同寺第二十四世亮辯和上の寛文年間(1661~)松平下総守忠弘公(15万石)が、城内本丸庭園を造り直した際、その余石と吉野のもみじを以て、この庭園も改築し、江戸から招いた幕府庭師と共に、忠弘公自ら石組に手を加え完成させたと言われております。

宝幢寺は、明治初期に廃寺となり、寺郭がとり払われました。

もみじ公園修復概要

 山形市は、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、本市の都市公園として開設しました。

当時から園内にあった既存施設である旧日本書院は、「清風荘」と名づけ中央公民館分館として、市民に開放し利用されていました。

その後、昭和54年10月に茶室「宝紅庵」を併設、昭和56年3月には「清風荘」を昔の面影に復元するため全面的改装を行いました。

昭和58年から昭和59年にかけ庭園の大規模な修復工事を実施して閑雅な池泉回遊式庭園として当時の姿に再生いたしました。

現在山形市の数少ない名園として文化的行事などに広く利用されています。

 

都市公園としての概要と沿革

  • 計画決定 昭和26年3月 1日 建設省告示第848号
  • 面 積 0.64ha(昭和60年3月11日 0.7haに変更)
  • 都市公園 昭和31年4月20日 都市公園として開設
  • 茶室「宝紅庵」併設 昭和54年10月 設計 工学博士 中村昌生
  • もみじ公園修復整備 昭和58年から昭和61年 監修 中根庭園研究所

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