「第11代山形城主 最上義光公」フレーム切手シート解説

ページ番号1013262  更新日 令和6年4月15日

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最上義光騎馬像

 市制135周年を迎える山形市の礎を築いた「第11代山形城主 最上義光(もがみ よしあき)公」をテーマにしたフレーム切手シートが発売されました。切手の図柄には最上義光公ゆかりの文化財が使用されています。それぞれの図柄の解説を掲載していますので併せてご活用ください。

 解説中「<歴史館展示あり>」とある文化財は、最上義光歴史館で見ることができる文化財です。(資料保護のため展示していない場合があります。)

 「フレーム切手」は、日本郵便株式会社の登録商標です。

販売場所

・最上義光歴史館

・山形市、上山市、天童市、山辺町、中山町内の郵便局(一部の簡易郵便局は除く)及び東京中央郵便局

・日本郵便株式会社Webサイト「郵便局のネットショップ」

販売開始日
令和6年4月12日(金曜)

最上義光公とは

 最上義光(もがみよしあき。1546-1614)は、最上氏の初代 斯波兼頼(しばかねより)から数えて第11代の山形城主です。義光公は、山形城を、本丸、二ノ丸、三ノ丸の三重の堀と土塁を持つ巨大な城郭に拡張整備しました(現在の霞城公園は本丸と二ノ丸)。また、七日町や十日町など現在の山形市のもとになった城下町の整備を行うなど、現在の山形市の礎を築いた武将です。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、全国で第5位となる57万石の領地を支配しました。

最上義光騎馬像

最上義光騎馬像

 霞城公園の東大手門広場に設置されている銅像です。銅像全体の重さは約3トンありますが、馬の後ろ足二本だけで立っています。山形の鋳物工場で製作されており、山形のものづくりの技術の高さを示す存在でもあります。馬の二本足でバランスをとる銅像が珍しいことから、ご当地武将銅像ランキングで第1位に輝いたこともあります。この騎馬像は、慶長5年(1600)出羽合戦の激戦地「長谷堂城」の方向を向いて立っています。

山形城二ノ丸東大手門

山形城二ノ丸東大手門

 二ノ丸に設置された、山形城の正面玄関です。明治初期の古写真や江戸時代の城絵図、発掘調査の成果などをもとに、櫓(やぐら)や高麗門、土塀が平成3年に復原されました。櫓の内部は一般に公開され、復原事業の成果などを展示しています。映画やCMのロケ地などとしても取り上げられています。

最上義光の印章<歴史館展示あり>

最上義光の印章

 この黒印は、最上義光が公印として用いた三本足の壷(鼎/かなえ)のデザインの印章です。壷の口の部分の「心」や壷の下部に意匠化された「出」と鷹の羽2枚で「出羽」、壷の中央には「七徳」を意味する「七」など義光好んだ言葉が意匠化されています。この黒印は、天正12年(1584/義光39歳)頃から約7年の間に発給された文書に確認されています。

※「心」の文字は署名と重なって不鮮明

長谷堂合戦で奮闘する最上義光(長谷堂合戦図屏風(複製)左隻)<歴史館展示あり>

長谷堂合戦で奮闘する最上義光(長谷堂合戦図屏風(複製)左隻)

 長谷堂合戦図屏風に描かれた甲冑(かっちゅう)姿の最上義光です。義光は山道を素早く駆け上がるため徒歩姿で、龍頭の兜を被り赤い母衣(ほろ)を背に懸けて、手には鉄製の指揮棒を持って敵兵を打倒しています。慶長5年の関ケ原合戦の地方戦の一つとして山形市の西方に位置する長谷堂で、徳川方の最上軍と豊臣方の上杉軍が戦いました。屏風は六曲一双で、右隻は9月15日前後の上杉軍の長谷堂侵攻を描き、左隻は関ケ原での勝敗が決した後の10月1日前後の上杉軍の撤退と最上軍の追撃の様子が描かれています。屏風には義光の他に敵将 直江兼続をはじめ最上・上杉両軍の著名な武将が名入りで描かれています。

 また、この屏風では最上義光の指揮棒と、その家臣野邊沢能登守延景の武器が誇張して大きく描かれています。作者は二人の共通点である「怪力剛力」を表現したかったのかもしれません。

山形城出土の金箔瓦<歴史館展示あり>

山形城出土の金箔瓦

 最上義光は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の配下の大名となったのち、天下人の城郭の影響を受けながら、山形城を大規模に改修しました。その際、山形城に初めて瓦を導入するとともに、瓦の模様に金箔を施しました。天下人の城郭でも使用されている金箔瓦で居城を荘厳にすることで、自らの権威と天下人とのつながりを誇示したと考えられます。

最上義光の兜<歴史館展示あり>

【山形市指定文化財】

最上義光の兜

 最上義光が織田信長から拝領したと伝える兜「三十八間総覆輪筋兜」(さんじゅうはちけん そうふくりん すじかぶと)です。重量は3.1キロです。兜鉢の正面右には、長谷堂の戦いで上杉軍の鉄砲隊に撃たれ被弾した弾キズが残っています。義光は、兜の𩊱(しころ)を当世風の上品で機能的なものに付け替え、眉庇(まびさし)を黒漆で塗り、鍬形台(くわがただい)の中央に最上家の家紋の一つである「竹に雀」の紋を取り付けました。

 最上家の家紋は「竹に雀」のほかに、足利将軍家の一族が用いた清和源氏の紋「丸に引両」が代表的な紋です。

最上家の家紋

山形城出土の黒織部茶碗<歴史館展示あり>

山形城出土の黒織部茶碗

 山形城三ノ丸跡(現在の双葉町)で出土した、17世紀初頭の茶碗です。黒織部とは、現在の愛知県瀬戸市付近から岐阜県南東部の地域で製作された陶器で、桃山茶陶を代表する焼き物です。この時期の茶道具は、中国からの影響を離れ、いわゆる日本独自のわび茶が成立する時期で、このような左右対称では無い、歪みを活かした作品が生まれるようになりました。最上氏やその家臣たちの間で、茶道が盛んだったのかもしれません。

最上義光の指揮棒<歴史館展示あり>

【山形市指定文化財】

最上義光の指揮棒

 最上義光が戦のときに常に携えていた鉄製の指揮棒です。重量は1.75キロもあり、刀二本分の重さです。義光の腕力の強さがうかがえる遺品です。指揮棒には「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光(せいわてんのうまつよう やまがたでわのかみ うはつのそうよしあき)」と刻まれています。清和源氏(清和天皇の子孫)であることや出羽山形の領主であること、そして剃髪していないが仏に帰依する身であることを示しています。長谷堂合戦図屏風にも、この指揮棒を持って奮闘する姿が描かれており、義光が主人公の軍記物語にも必ず登場する象徴的な品です。

山形城御城印

 日本100名城の1つに選ばれている「山形城」の御城印です。通常版と特別版(枚数限定)があります。特別版は、色鉛筆画家の音海はる氏が最上義光のイラストを描いています。最上義光歴史館内に設置している御城印特別版のフォトスポットでの記念撮影はいかがでしょうか。

 御城印販売場所:最上義光歴史館

山形城御城印(通常版・特別版)

山形城御城印の通常版と特別版です。

最上義光騎馬像

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