国指定史跡 山形城

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山形城の
出土品、発掘状況

出土品と発掘の状況を
ご紹介します。

本丸一文字門
石垣復原工事

本丸一文字門ほんまるいちもんじもん石垣は、明治時代に埋め立てられたもので、平成8年より発掘調査を行いました。平成10年から石垣復原工事を開始し、写真は一度取り外した石材を元の位置に修復している様子です。

本丸一文字門石垣復原工事

本丸一文字門大手橋
復原工事着手前

本丸一文字門大手橋復原工事着手前

本丸一文字門大手橋ほんまるいちもんじもん おおてばしは一文字門と二ノ丸を繋ぐ木橋で、堀から橋脚が出土しました。橋脚は3本柱で橋桁を支え古絵図では長さ「十二間じゅうにけん」(約22m)と書かれています。

本丸一文字門大手橋
復原工事完成

大手橋復原では元の橋脚の位置に柱を建て、上部は擬宝珠高欄ぎぼしこうらんとしました。材料は発掘で出土した木材を鑑定し、スギ・マツ・クリを使用しました。

本丸一文字門大手橋復原工事完成
本丸一文字門周辺堀跡出土「赤鯱瓦」
本丸一文字門周辺堀跡出土「赤鯱瓦」 現存高約44㎝。重量7.2kg。赤い釉薬を掛けた鯱瓦。鯱は顔が虎・体が魚で城郭の櫓・門などの屋根の先端に葺かれていました。赤い釉薬は冬の凍結による瓦の割れ等を防ぐためです。この鯱瓦は尾とヒレが別に作られていましたが、発見されておりません。製作時期は18世紀以後。
本丸一文字門周辺堀跡出土「赤鬼瓦」
本丸一文字門周辺堀跡出土「赤鬼瓦」 現存長約58㎝。重量6kg。赤い釉薬を掛けられた鬼瓦。鬼瓦の中心には堀田氏の家紋である竪木瓜文がつけられています。堀田氏は元禄13年(1700)に山形藩主となり47年間にわたり山形城を居城としました。
本丸御殿跡及び本丸一文字門の整備状況(航空撮影)
本丸御殿跡及び本丸一文字門の整備状況(航空撮影) 画面中央が本丸御殿跡。左奥に復原した本丸一文字門石垣と高麗門・枡形土塀の姿がみえます。画面奥には、現代の山形市のシンボルタワー霞城セントラルと、信仰の山「龍山(りゅうざん)」が位置しています。
本丸御殿跡中央堀跡調査状況
本丸御殿跡中央堀跡調査状況 本丸御殿跡の中央堀跡と呼ぶ遺構。長方形の形をし、全周石垣が築かれたもので、堀幅約4m・深さ約1.8m・総延長は約50mあります。堀の埋め立て土の上層から瓦が多量に出土しました。その半分は火災にあった瓦で、金箔を貼った金箔瓦も多くあります。金箔瓦は16世紀末頃に流行しました。山形城主最上義光の頃のものです。
本丸御殿跡中央堀跡出土 沢瀉(おもだか)紋金箔鬼瓦
本丸御殿跡中央堀跡出土 沢瀉(おもだか)紋金箔鬼瓦 現存高約31㎝。重量7.3kg。金箔の黒鬼瓦。植物の「沢瀉(おもだか)」の葉を象っています。家紋ではありませんが、武家の繁栄への願いが込められています。製作時期は16世紀末から17世紀初頭で山形城主最上義光の頃のものです。
本丸御殿跡井戸跡出土 金箔鯱瓦 尾部
本丸御殿跡井戸跡出土 金箔鯱瓦 尾部 現存高約42㎝。重量7.3kg。金箔の黒鯱瓦。本来は高さは1mを超えると思われ、体部にはウロコ状のスタンプをつけています。また、写真体部下には丸穴と「三」の漢数字が刻まれています。金箔は、尾ヒレに薄く残っていますが、本来はヒレ部全体につけられていたと考えられ、体部分には金箔がありません。この瓦が井戸に捨てられたのは鯱が水にまつわる想像上の生き物であるためです。
本丸御殿跡中央堀跡出土 金箔軒丸瓦「山文」
本丸御殿跡中央堀跡出土
金箔軒丸瓦「山文」
瓦当直径約15.1㎝。重量2.4kg。金箔の黒軒丸瓦。表面文様は漢字の山で、金箔を貼るのは山の字と周縁と呼ぶ帯の部分だけです。山の意匠は山形の象徴と考えられます。製作時期は16世紀末から17世紀初頭で山形城主最上義光の頃のものです。
本丸御殿跡中央堀跡出土 金箔軒平瓦宝珠文
本丸御殿跡中央堀跡出土 金箔軒平瓦宝珠文 瓦当幅約25㎝。重量2.9kg。金箔の黒軒丸瓦。表面文様は中心が宝珠で左右に唐草文が施されています。両端に金箔がつかないのは、軒丸瓦で隠れるためです。金箔を貼るための接着剤には漆(うるし)が使われています。製作時期は16世紀末から17世紀初頭で山形城主最上義光の頃のものです。

本丸西堀土塁跡
瓦捨て場調査状況

本丸西堀土塁跡瓦捨て場調査状況

本丸西堀跡に瓦捨て場が見つかりました。瓦は黒瓦が多く赤瓦が少ないため江戸時代中期に廃棄されたものと推測されます。明治時代に埋め立てられたため、壊されることなく発見されました。この付近にはかつて本丸月見櫓ほんまるつきみやぐらという2階建ての建物があり、瓦はこの建物に由来します。同時に月見櫓つきみやぐらの石垣の石材も出土しました。

本丸西堀
埋門土橋
(うずみもんどばし)
調査状況

本丸西堀の中央で発見した埋門土橋うずみもんどばしと呼ぶ遺構。残存する高さ約3mで、最大幅約12mあります。埋門うずみもんとは門の一つですが、正規の通用門ではなく非常口という性格の門でした。この土橋は二ノ丸側から突出したもので、本丸側には連結せず木橋が架かる構造と考えられます。17世紀前期の山形城主鳥居氏以降のものです。

本丸西堀「埋門土橋(うずみもんどばし)」調査状況
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