【短編エッセイ #05 山寺/ 峯の浦】
いろんな意味で文明の羅災から免れている稀有な土地。方々の民俗学を学ぶなかで、山伏修行を体験したり寺社を詣でて、あらためて感じた山形への印象だ。
通称「山寺」で親しまれる宝珠山立石寺を初めて訪れたのは、山全容を紅葉が包みはじめた晩秋のころ。たとえるなら“目に見える悠久”とでも言うべきか。1200年にわたり消えることなく常世を照らす「不滅の法灯」を根本中堂で見たとき、このままずっとこの地に居たいと心が揺れた。それ以来、いまは幾度目だろう。
配された堂宇すべてに意味があり、山全容で“死後の世界”を表現しているという立石寺。移りゆく季節とともに色彩も移ろい、訪れるほどにその奥深さを感じることができるのは、長い歴史とそれを紡いできた人たちの情熱によるものではないだろうか。
開祖である慈覚大師・円仁と山寺草創期の面影を、歴史を遡る視点で散策することができる「峯の浦」と呼ばれるエリアがある。
その存在を知ったのは、門前町にならぶ土産店主との立ち話がきっかけだった。味の染みた玉こんにゃくを食べながら。一本道ではあるものの、初めてにしては険しい場所もあるというし、地元の歩き慣れた人と歩くガイド付きツアーを紹介してもらったのも心強かった。
門前町から道なりに奥へ進むと、峯の浦トレッキングの起点となる千手院観音の入り口に辿り着いた。傍らには、開山以前の地主神として崇められる磐司磐三郎の墓が残されている。鳥居を越えるとすぐ、参道を線路が横たわり、そこを勢いよく電車が通りすぎて行った。見たことがない珍光景にまごつきながらも、恐るおそる石段を登っていく。