【短編エッセイ #01 千歳山】
時間に頓着しない朝。時計に急かされることもなく、熱いコーヒーをタンブラーに注ぎ、小さなバックパックに荷物を詰め込む。
道すがらにみえてきたのは、逆光に照らされる山のシルエット。街のすべてを見渡すような雄々しさは、まるで山のほうからこちらに迫ってくるみたい。
人間に姿を変えた松の精と阿古耶姫との悲恋がつたわる千歳山は、もとは修験道の聖地としてあがめられた信仰の山。きけば、平安時代に建てられたという日本最古の「元木の石鳥居」も、この山を向いているとか。
朱の鳥居がつらなる石段から、山と街とのあいだにある結界のような山門をくぐる。ふと見上げると、目の前はたくさんの芽吹きの色にあふれていた。いつ訪れても「山ってこんなに色があったんだ」という当たり前に気付かされる。そして「きれい」と呟いてしまう。
石段を登り終えると、ヒガラやシジュウカラのさえずりとともに、中腹にある稲荷神社から伸びやかな祝詞がまじわってきた。
風に揺れ手招きする赤いガマズミに誘われたその先は、ふいに山道らしい様相に変わりはじめる。ほどなく「こんにちは」「いい日和ですね」と、道ゆく登山者が声をかけてきてくれた。もしかしたら、わたしが住むこの街でいちばんあいさつが交わされる場所はここなのかもしれない。