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市勢要覧

市勢要覧

ページID : 100738

1.市章 2.市政のあゆみ 3.市の概要 4.市域の変遷 5.市民憲章 6.都市宣言
7.友好姉妹都市 8.山形市民の歌 9.山形市の人口

1 市章

山形市章 中の3線は、自由、平等、友愛、外円は団結、下の鋭角は固い意志を意味し、これらを山の字で表現しています。
(昭和29年10月制定)

2 市政のあゆみ

 山形は、古くは最上(もがみ)と呼ばれていた。「最上」は、平安時代の末期頃、すでに出羽路の主要な宿駅の一つであった。このことは延喜式の記録などからも察せられる。仏教文化も、かなり早い時代にこの地方にもたらされており、山寺立石寺(りっしゃくじ)が天台宗の僧円仁(慈覚大師)によって開山されたと伝えられるのは、貞観2年(860)のことであり、出羽の吉祥院や竜山の西麓に多くの坊を擁して栄えたという竜山寺の草創も、その時代のことのようである。しかし山形が、この地方の政治文化の中心に発展したのは、室町時代中期以降のことである。延文元年(1356)羽州探題として奥州大崎より入部した斯波兼頼(しばかねより)がこの地に城を築き、神社仏閣を修復整備し、城下町を整えて発展の礎石をおいたのであった。
 「最上」という地名を「山形」と改めたのも兼頼である。山形が、いっそう飛躍して出羽地方一帯に君臨するにいたったのは、兼頼からさらに200年余りたった最上義光(もがみよしあき)(斯波氏はのち最上を姓とする)の時代(1546-1614)である。義光は、兼頼の11代目の子孫で、年少より文武にすぐれていたといわれ、折からの戦国時代の風雲に乗じて近隣の諸将を従え、実収百万石にも達したといわれている。しかし最上氏は、義光没後わずか2代で、内紛のため改易された。そしてその後の山形藩は次第に衰微し、明治維新まで小藩政治に終始しており、最後の藩主水野忠弘の時代には、5万石の小藩にすぎなかった。
 江戸中期以降の山形の繁栄を支えたのは、商業の発達であった。なかでも、当時、染料や口ベにの原料として用いられていた紅花(べにばな)は全国随一の生産を誇り、関東・関西の各地に移出されていた。また、青苧(あおそ)の生産や鋳物の製造なども盛んで、これらの物産の交流は、最上川船運の発達をもたらし、上方文化の導入にもつながった。
一方、東の蔵王、西の出羽三山の参拝者たちも山形を拠点としており、山形は、すでにその頃からにぎわいをみせていた。
 明治維新によって藩が廃され県に改まると、山形には統一山形県の県庁が置かれた。初代県令三島通庸は、ここに近代都市の建設をはかり、その形態を着々と整備した。明治22年に市制を施行、県内中心都市としての基礎を固めた。
 昭和29年には近接12カ村を、続く31年には6カ村を合併して広域行政の端をひらき、現在の規模となっている。
 平成元年には市制施行100周年を迎え、平成4年には、べにばな国体の開催、山形新幹線の開業、東北芸術工科大学の開学、さらに市立病院済生館の改築、また平成6年には山形ビッグウイング(山形国際交流プラザ)のオープンと、大きなプロジェクトが相次いで花開いた。
 平成8年には「いきいき躍動山形プラン(山形市新総合計画)」がスタート。新世紀の幕開けとなる平成13年には特例市に移行し、同プランの重点プロジェクトを再構築して、「新重点プロジェクト~環境先進都市をめざして~」を策定し、各般の施策を推進してきた。
 平成19年には「新総合計画」(第7次総合計画)がスタート。平成27年度には、村山地方の中枢都市として地方創生を牽引する役割を果たし、圏域の人口減少を食い止めるため、山形市第2期経営計画を見直し、「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の策定にあわせ、『世界に誇る健康・安心のまち「健康医療先進都市」の実現』に向け、山形市発展計画を策定した。
 現在は、めざす将来都市像を『みんなで創る「山形らしさ」が輝くまち』とし、その実現に市民、事業者、行政の共創により取り組んでいるところである。

3 山形市の概要  

○山形市役所の位置

 東経140゜21′ 北緯38゜15′   

○山形市の位置 

 山形盆地の東南部(山形盆地 南北40キロメートル,東西10キロメートル,舟底型内陸盆地)  

○人口 

 253,832人 (平成27年国勢調査【調査基準日:平成27年10月1日】)  

○面積 

 381.58平方キロメートル  

○気象 

 昭和8年7月25日 40.8℃を記録(平成19年8月15日まで日本最高気温)    
(山形地方気象台(平成21年) 平均気温 12.1度,日照時間1560.1時間,年降水量1002.0ミリメートル,積雪最深 41センチメートル)  

○市の木,市の花(昭和49年7月1日制定) 

 市制施行85周年を記念し,選考審議会で選んだ市の木,市の花の候補各4種類の中から,一般公募を行い,最も支持の多かったものを市の木,市の花として制定しました。
 
・市の木 ナナカマド 
500メートルぐらいから上の高山に自生する落葉樹で、あまり大木にはなりません。葉は羽状複葉といって、1枚が7~15枚の小葉にわかれ、花は径5センチメートルばかりの白色5弁であり、集まって咲きます。秋には小豆ほどの赤い実がなります。


ベニバナ画像・市の花 ベニバナ
キク科の越年草でエジプト原産。高さは約1メートルで葉は硬く、縁にとげがあります。夏、枝上にアザミに似た頭状花が咲き、鮮黄色から赤色に変わります。古く染料植物として渡来したものであり、江戸時代には山形は日本一の紅花の産地でした。 

 

4 市域の変遷 

編入時 編入町村 編入後面積(平方キロメートル)
明治22年 4月 1日 市制施行 20.32 
昭和 6年 4月 1日 東沢村字小白川 21.53
昭和18年 4月 1日 鈴川村・千歳村 36.49
昭和29年 3月31日~11月 1日 飯塚村ほか11ヵ村 237.21
昭和30年 4月 1日 大曽根村字志鎌 237.29
昭和31年 4月 1日~12月23日 大曽根村ほか5ヵ村 384.63
昭和32年 3月21日 蔵王金瓶(上山市へ編入) 381.62
昭和32年10月20日 南山形管内小松原(上山市へ編入)  381.59
昭和33年以降 境界変更等 381.58 
                                                                                                                                                                                                                       

5 市民憲章(昭和54年7月1日制定)  

 わたくしたちは,樹氷とべに花の里,山形市民です。誇りと責任をもって五つの誓い をいたします。  
1 すすんでまちづくりに参加し,明るいまちをつくります。  
2 きまりを守り,親切であたたかいまちをつくります。  
3 働くことに喜びをもち,活気あるまちをつくります。  
4 自然を愛し,緑と水のきれいなまちをつくります。  
5 老人にはやすらぎ,若者には夢のあるまちをつくります。

6 都市宣言

  • 山形市平和都市宣言(昭和59年3月22日市議会議決)  
  • 暴力のない明るい都市宣言(昭和62年3月19日市議会議決)  
  • スポーツ都市宣言(昭和63年12月21日市議会議決)  
  • ゆとり宣言(平成2年6月22日市議会議決)  
  • 米等の自給確立都市宣言(平成3年3月22日市議会議決)  
  • 男女共同参画都市宣言(平成10年9月21日市議会議決)

7 友好姉妹都市

  • キッツビューエル市(オーストリア) 
  • スワンヒル市(オーストラリア)   
  • 吉林市(中華人民共和国)      
  • ウランウデ市(ロシア連邦)   
  • ボルダー市(アメリカ合衆国)    
  • 大島町(東京都)  
  • 加美町(宮城県
 

8 山形市民の歌

楽譜(PDF形式、256KB)

9 山形市の人口

山形市の人口(平成27年国勢調査【調査基準日:平成27年10月1日】)

合計  253,832人

男   121,575人

女   132,257人

世帯数 100,303戸



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